たまには私の少年時代のお話でもしましょう。
というのも、最近どんな学生時代を過ごしてきたのか。といったご質問をいただく機会が増えましたので、これを機に書いてみようかと思います。
大まかなことについては、こちらのブログに以前書いていますので、ぜひ読んでみてください!
このブログの作者Ikumiはアーセナルで
ブログの作者Ikumiより
グラウンズパーソン(グラウンドキーパー)として働いています。
今までも芝生に関しての記事をたくさん書いてきましたので、
気になる方々はぜひ過去の記事を遡ってみてください。
SNSも発信中。気になる方はぜひフォローを!
Twitter: @Ikumi_grounds
小学生時代
何にでも興味を持つ小僧でした。サッカー選手になるのも夢でしたが、車が好きだったのでレーサーにも憧れましたね笑。化学や植物を育てるのも好きだったので、卒業文集には科学者って書いてたと思います。
車好きは今も変わらずでして、日本にいた時には車を3台(ホンダ・シャトル→ホンダ・インサイト→トヨタ・ハリアー)、車検前に乗り換えていろいろな車を楽しむほどの車好きです笑。
今の車に関しての目標は、レクサスLC500を買ってみたいと思っているくらいですね笑。5000ccの車はもう今後手に入らないと思うので、1度は手にしてみたいです。
ちなみに、イギリスでは今のところ車を保持していません。ガソリン代が高いのと、イギリス人の運転が怖いからです笑
少し脱線しましたが、これといって特別な小学生ではなかったと思います。どこにでもいるような小僧ですね。
ただ、この時に知り合った友人たちには、今でも私とともにサッカーをプレーしてくれる、そして今でも連絡を取り合ってくれる大切な友人がいっぱいいます。この出会いは私にとって特別だったといえるかもしれません。
サッカーを好きになったきっかけは、2002年のワールドカップで、ドイツ代表のGKオリバー・カーンさんの熱い情熱あふれるビッグセーブを魅せられて大ファンになりました。
ですので実は私、サッカーで一番好きなポジションはゴールキーパーです。
中学生時代
私がいわゆる部活、習い事としてサッカーをしていたのは、実は小学生時代までです。
中学生からは、習い事としてではなく、近所にあるフットサルコートに足を運んだり、仲間内でサッカーをしたり、はたまた私のケガが原因で知り合った病院の先生たちや、その先生たちが紹介してくれたチームに混ぜてもらったり、そこから社会人の人との出会いからクラブチームに参加したりとサッカーやフットサルを週に2,3回くらい楽しむような学生時代でした。
これについては説明がものすごく面倒だったので、今まで出会った人たちには「中学生までサッカーしてました!クラブチームでもプレーしてたよ!」ってかなり大まかに端追って話していましたね(自分のことに関しての説明が面倒になる癖をいい加減直したいものです)笑
続けなかった理由としては2つ。1つはなかなか試合に出させてもらえなかったことです。折角の土日にサッカーしているのに、プレーできないのは退屈だと感じていました。
2つ目はそれによって自分はサッカー選手にはなれないと悟ったからです。ベンチにいるということは、才能がないということなのだと。
これは今まで誰にも話したことはありませんが、自分の中でサッカー選手になるのは無理やと、小学生の小さな頭で感じました。そして、サッカー選手になれないのに土日にしんどい思いをしてまで、サッカーを習いたくは無かったと今を振り返れば感じたのだと思います。
いわゆるサッカーのプレイヤーとしてのゲームオーバーですね。
これはちょっとした挫折に近い経験をこの時にしたといえます。とはいえ、おかげで今があるともいえますので、何も後悔はしていません。むしろ感謝しています。
感謝しているというのは、職業柄名古屋グランパスさんの練習、FC岐阜さんの練習、さらにはアーセナルの練習を観る機会がある職業なのでそのたびに思います、「こいつら(選手たち)とんでもない化け物やな」と(口が悪くてすみません笑)。
特に名古屋グランパスさんの練習を観ていた時に感じたのは、マッシモ・フィッカデンティさんが監督だった時に、ものすごくたくさんの高強度のランニングをひたすら繰り返す練習をしていたのを観て、「自分には無理だわこれ」といつも思ってみてました。
実際に先日、ワトフォードトレーニングセンターでサッカーをしましたが、まあプロの選手たちの化け物具合がよくわかりました。
散水するとめちゃくちゃボールが滑るピッチ環境で、なんであんなに簡単にボールを扱えるのか、そして日本人プレイヤーは、イギリス人や外国人の屈強なフィジカルの差を感じてもあれだけ戦えるのは、とんでもないですね。私は簡単に飛ばされてました笑
その時の感想はこちらに書いてあります↓↓
ただ、サッカーは好きだったので、中学生になってからも、のほほんと楽しく伸び伸びプレーできる環境に身を置いていました。
中学3年生の時には、忘れもしません、2010年南アフリカワールドカップがあり、それが同級生の仲間たち(小学生時代に知り合った多くの仲間たちもいます)をフットボールの世界へと引きずり込んでくれたことによって、私はみんなと楽しくサッカーができる環境を今でも手にしています。
あのワールドカップは、私だけでなく周りのみんなの人生も大きく変えたと思います。
ちなみに、私はIkumiは本名ですが、Hondaではありません笑。これは私のこの時の友人たちが付けてくれたあだ名で、命名した友人曰く、ゴロがいいからだそうです。
当時は本田圭佑選手が注目を集め始めたこともあり、ビッグマウスなところは私に似ていたからなのかなと今になって思います(中学生の私に12年後にはその夢は叶いますよと伝えたいです)。
私も個人的に響きが気に入っているので、いろいろな場面で使わせていただいています笑
個人的には、小さな子供たちが習い事としての本格的なサッカーを目指すのではなく、こういった楽しく快適にサッカーができる環境作りというのは、日本が将来的にサッカー人口を増やし、そしてサッカー大国といわれるためにはものすごく重要なのではないかと。
いわゆるライト層ってやつですかね。こういった経験をしたからこそ感じます。
そしてある時に友人たちとサッカーをしていた時に気が付きました。「最高の芝生の上でプレーがしたい」と。とはいえ、プロになれないと思っているわけですから、プロのグラウンドではできない(結果的にイギリスのクラブの練習場ではプレーできましたが)。じゃあ自分でグラウンドを作ればいいんじゃね?
これがアーセナルの日本人初グラウンズパーソンになるきっかけの1つになりました。今振り返るとただの馬鹿ですよ笑
ただ、確か卒業文集にはグラウンズパーソンとは書いてないはずです。なぜならこの職業の知名度があまりに低すぎて、芝生を管理するための職業があることすら知りませんでしたから(こういう子は今でもいると思いますので、私は今後も知名度アップに貢献したいです)。
そしてまだ今のように、インターネットで手軽に調べられるような時代ではなかったので。
高校時代
正直楽しくはなかったです。理由はこちらにも書いてあります。
周りにいた仲間たちは、もちろんみんながいい人達でした。しかし先生には芝生の管理者、芝生のグラウンドを作るという夢を否定されましたし、自分の夢を否定されるのは正直いい気分ではないですね。
まあ、突拍子もないことなので、否定して現実を観ろと言いたくなる気持ちもわかりますけどね笑
ただ、高校2年生の時の数学と英語の先生は親身になってくれたのを覚えているので、もし機会があればお会いしたいです!ただ、今はいったいどこで何をしているのかは全く分かりませんが笑
しいて楽しかったことを言うなら、球技大会がサッカーだったことですかね。その時にみんなとサッカーができたのはすごく楽しかったです。
あえて高校の名前は私からは出しません。学校の評判も大事だと思いますので。
ただ、いくつか取材を受ける際には、学校名等は話しますので、もしかしたら記事に高校の名前が出るかもしれませんので悪しからず。(新聞社の取材で明るみに出ましたね笑)
大学生時代
大学に行きたかったのは、芝生だけにフォーカスするのではなく、別の植物などを学ぶことで何かヒントがあるかもしれない。そのためもう少し自分の視野を広げてみたかったのと、植物についてしっかり学びたかったからです。
大学に行くうえで、今でも奨学金の返済をしていますが、自分で学費をアルバイトで調達して支払っていました。平日は毎日大学へ行きそして終わったらアルバイト。土日は朝から晩までアルバイトをこなす。かなりクレイジーでしたね。
正直に言うと、この大学生時代が一番人生の中で厳しい時間を過ごしていました。1週間ずっと休みが無かったので。
とはいえこの経験のおかげで、仕事を始めてからは1週間に2日も休めることに対してのありがたさが芽生えているので、これはこれでいい経験でしたね笑。
休みがあるといっても、今は英語の勉強をしたり、日本にいた時には植物の勉強をしたりと、案外やってることは学生時代と変わらないかもしれません笑
よく周りで聞くことですが、「大学生に戻りたいなー」と。
私は絶対にこんなにしんどい思いをしたくないので戻りたくないです。というより、今が一番楽しいので。
どんな学生だったかと言うとわんぱく小僧でしたね。男女問わず誰にでも話しかけに行きますし、全く話したことのない別の研究室の先生方の研究室に入っていっては先生の時間を頂戴して、勝手にいろいろな質問をしてました笑
何故先生たちに様々な話を聞きに行ったのかというと、単純に大学に高い学費を自分で払っているにもかかわらず、何も将来得るものがないというのは非常にコスパが悪くもったいないと思ったからです。少しでも割に合うものを回収してやろうと思っていつも生活していました。
その先生方とは、今でも顔を合わせれば覚えていてくれているので、相当なインパクトがあったのかもしれませんね。
そして今でもその先生方とはお会いした際や連絡を取り合った際には、植物についてや農薬についてなど様々なことをご教示いただけたりと、その道のプロフェッショナルの方々とお話をできているので、自分の人生の中でものすごく大切な出会いがあったといえます。
そしてこの時からは、自分の将来についてかなり現実的な選択を考え始めます。
というのも、日本ではまだまだスタジアム建設やグラウンド作りには行政の力が必要です。ですのでこの行政に入るのか、それとも管理する側に回るのか。ものすごく迷いました。
決断できたのは大学の2年生の時に、1人でイングランドに旅行した時です。ロンドンにある様々なスタジアムを回って見て、私が感じたことは、「プレミアリーグで仕事をするには、グラウンズパーソンしかない」。一度は世界最高の舞台で仕事をしてみたいと思いました。
この時に私が専攻していた研究室の先生は、今でも私と定期的に連絡を取り合ってくれる素晴らしいパーソナリティのある先生でして、この突拍子もない夢や目標をお伝えしても否定することなく、応援してくれた私の学生時代における最高の恩師です。
そこからのことは、こちらに書いてありますので、ぜひご覧になってください!
まとめ
今回は私の学生時代のことについて書きました。いくつか以前書いたことのあることを再び書きました。
何か特別な才能があったわけではなく、どちらかというと上手くいかないことが多く、かなり厳しい時間の多い学生時代を過ごしていました。
多くの人には厳しい、と言われたことや、無理、と言われたり散々いろいろなことを言われましたが、私は常に自分を信じて、どうすれば将来グラウンズパーソンになり、そしてどうすればプレミアリーグの舞台に立つことができるのか、必死で毎日自分で調べて行動していました。そして今に至ります。
その時の経験というのは、今でも私にとって大きな意味があるものになっていると思います。無駄な時間があったかもしれませんが、無駄な経験は無かったと思います(昔、俳優の佐藤浩市さんがこのような名言を話していましたので引用しました)。
そして、小学生の時に経験した挫折の影響で、サッカーを嫌いにならなかったことが、私の今の人生にとって最も大きな影響を及ぼしていると改めて感じました。
やはり伸び伸びサッカーができる環境を作るのも、サッカー人口を増やす、サッカーファンを増やすうえで1つ大事なことかもしれないと自分の人生を振り返ると感じます。
話は全く変わりますが、私は決して狙ってアーセナルのグラウンズパーソンになれたわけではないです。
何度か過去に書いたかもしれませんが、私はイギリス中にある全ての大学などの教育機関の芝生管理者、ラグビー場、サッカー場、スタジアム、クリケットクラブ、ラグビークラブ、サッカークラブ、テニスコート、サッカー協会等、その時々に芝生管理者を募集している全てのカテゴリーに対して履歴書をそれぞれ作って応募しています。件数で言えば下手をすると100件以上だと思います。
その中で唯一私に対して正式なオファーをくれたのが、私が今所属しているアーセナルです。本当にこのクラブには感謝していますし、今でもそれを思い出すだけで自分をここまで信じてきて努力が報われたことに対して涙を流しますね。
この件に関しては、また後日改めてブログにします!それでは、また次回のブログでお会いしましょう!
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