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今回は私の経歴について少し書いていきたいと思います。
というのも、様々な方々から質問箱やDM、質問などで経歴についての質問を受けているので、ここでまとめてお答えしようと思います。
プロフィール
所属クラブ | アーセナル |
趣味 | サッカー観戦、散歩、最近は英語学習 |
会ってみたい人 | 福山雅治さん、本田圭佑さん、世界中のグラウンドスタッフ |
尊敬する人 | 世界中のグラウンドスタッフ |
好きな曲 | Payphone(Maroon5)、始まりがまた始まってゆく(福山雅治) |
出身地 | 日本 岐阜県 |
年齢 | 1995年生まれ |
目標 | 少しでも多くの方々にこの仕事を知ってもらうこと。 芝生とは関係ない目標は、上記の人たちに会うこと LC500を買えるまで頑張ること |
名前 | Hondaは友人が付けたあだ名です。 本名はいずれ何かの記事に出ると思うのでその時に。 新聞掲載に関して | アーセナルグラウンズパーソンの日常 (ikumi-honda.com) |
グラウンズパーソンを目指すきっかけ
グラウンズパーソンを目指すきっかけは、以前こちらで書かせていただきましたので、先にそれを見ていただけますと幸いです。
この記事では、いつからどんなきっかけで目指したのかについて書いてあり、どんな学生時代を歩んできたのかについて書いてあります。
今回のブログでは、その大学卒業後のキャリアについて触れていきます。
2018年大学卒業 名古屋グランパス練習場へ配属
私は2018年3月に大学を卒業し、同年4月から日本の芝生管理会社に入社しました。その会社では、最初から愛知県を拠点に活動する名古屋グランパスさんの練習場の管理をさせていただくことができました。
おそらく私の地元が岐阜であり、その近辺ということで選んでくれたのだと思いますが、ここに配属されたことによって、アーセナルの多くの人たちとの会話で、ベンゲルさんが前にいたところだよね?といった会話ができたので、今のキャリアを構成するうえで非常に大きな意味を持っていると思っています。
ここでは約4年間、2022年3月まで仕事に携わることができました。思うようにいかない日々の方が多かったですが、それがきっと今の自分を構成しているのではないかと思います。
日本に帰国した際には、訪問できる時間を取れるように調整したいです。(2023年10月時点で訪問できました)。
2022年4月 FC岐阜メイン練習場北西部運動公園へ
そして2022年4月からは、北西部運動公園という主にFC岐阜さんが練習場として使用するグラウンドへ新しく異動することになりました。
きっかけは多々ありましたが、2021年から1年以上にわたってグラウンドの状態を見させていただく機会をいただき、どのような改善が必要なのかといったことを自分の頭の中で思い描くことができ、それを実行できた素晴らしい場所でした。
半導体の影響で芝刈り機やその他機械が間に合わず、様々な場所からのレンタルを手配したりというハプニングもありましたが、順調にできたのではないかと思います。
とはいえ、夏場暑いからといって朝4時からの仕事開始は、アーセナルに来てもクレイジーだねって言われますのでちょっとやりすぎたかなと思います笑
この異動になるときにはすでに、実は心の中ではイングランドへの挑戦を決めておりましたため、短い期間でいかに結果を残し、それを次の方につなげることができるのかに注力を注ぎました。
ここのグラウンドに関しては、一言でいうと利用頻度が多すぎるという大きな課題があり、芝生のグラウンドの使い方を自治体の方々、使用する団体や市民の方々が学ぶ必要があると感じました(アーセナルやプロのレベルでは、GKの練習で正規のゴール前は使わないといった、芝生といかに共存していくかといったグラウンドの使い方など)。
市民の団体の方とコミュニケーションをとる中で、一番覚えているのは、確か長良高校?(高校名が全く覚えられません)という地元の高校のサッカー部の顧問の方(何の車に乗っていたのかは覚えています(笑))は非常に気を使ってくださったのを覚えています。
しかし逆もまたしかり、全く目を合わせず返事もしてくれない指導者もいたので、指導者の質という面でもまだまだ多くの課題もありそうだと感じました。自分の地元なので少し厳しく書きましたが、少しでも岐阜にサッカーが浸透すれば嬉しいです。
それでもなお、私が在籍していた7月20日までのたった3ヶ月という短い期間にもかかわらず、FC岐阜の多くの方々を始め、SNS等でも応援してくださりサポートしてくださった方々には感謝しています。
退社後アーセナル加入が決まるまで
7月20日に退社したのち、私のビザのスタートは8月26日からでしたので、それまでの期間は日本を堪能しつつ、様々なグラウンドに足を運んでみようと思い、のんびりとした休暇を過ごしていました。
場所は静岡のクラブに始まり、関東圏のスタジアムや練習場を回りました。それ以外にも鎌倉、横浜、そして埼玉と千葉を回って、とりあえず最後の日本を過ごしていました。
実はこの時にまだ正式にどこに所属するのか決まっておらず渡英することだけ決まっていて、所属クラブはイギリスに入国してから大きなクラブから小さなクラブまで、いろいろなクラブに突撃してやろうという気持ちで過ごしていました。
とはいったものの、実はアーセナルとの面接は2022年の3月末に1度オンラインで済ませており、その時にはビザの期限が近付いたらまた連絡しますという連絡をいただいていました。
正直に申しますと、連絡は来ないかなと思っていましたが、7月の中旬に突然アーセナルサイドからメールをいただき、ビザの詳細を聞かれそのやり取りを1か月近くしていました。
そして8月16日、忘れもしません日本時間深夜0時16分に今の私のボスからのJob offerのメールをいただくことができ、念願の目標がかなった瞬間でした。あの時は嬉しくて感情が爆発したのを覚えています。
渡英まで
渡英までの約10日間は、英語の契約書をひたすら読むのに必死であったり、実家の荷物を片づけたりと忙しい日々でした。しかしながら渡英する直前に新型コロナウイルスに感染してしまい、26日のフライトを延期に。
気持ちが焦っていたので、とにかくはやくイギリスへ上陸し1日でも早く合流することを目指していたので、感染した時には絶望しました。
ですが今振り返ると、結果的にアーセナルサイドの書類等が9月18日に全て承認されることになり、速く渡英していたとしても仕事ができない退屈な日々を過ごしていたと思うと、新型コロナウイルスに感染して結果オーライといった感じです。
そして9月11日に中部国際空港から成田空港へ飛び、そこからイギリスへ向かいいよいよ新たなキャリアをスタートさせて今に至ります。
現在 アーセナル
今現在はご存じの通りアーセナルに所属しています。日本とは異なり、海外では基本的にグラウンドスタッフもクラブとの契約になるので、所属先がアーセナルということになります。
契約期間は2年の契約で、そこからは私のVISA次第といった形です。
勤務先はロンドンコルニーにあるアーセナルトレーニングセンターです。
毎日新しい発見があったり、グラウンドスタッフのみんなとの会話や芝生に関することなど、楽しい日々を過ごしています。
まとめ
今回は私の経歴について書きました。こういった感じで日本でも順当にキャリアを重ねることができました。
正直に申し上げますと、私よりも知識や意見のある方々はたくさんいます。ただ、芝生管理に関する情熱だけは誰にも負けない自信があります。だからこそ、日本人として初めてアーセナルのグラウンドスタッフになれたのだと思いますし、それはこれからも失うことはありません。
また需要があれば、このような内容のことを書いていきたいと思います。
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